第二十九話 彷徨った先(下)

チッチッチッ” 何処かで野鳥が ”早く起きろ” と騒いでいる・・・・・ 昨夜は漆黒の闇の中 自分たちの置かれた
状況さえも観えなかった  白黒映画スクリーンの様に薄っすらと しかし徐々にはっきりしだす周囲 橋の下を覗くと
昨夜彷徨った山塊の峠向け駆け上がる流れを確かめる しかし如何にもか細い・・・ 一同落胆を隠せないが天然の
岩魚位居るだろうと 早朝の僅かな時間この流れに遊んで貰う事にした 其処から上流目指す二人を置いて透けた
渓沿いの原を駆け下った ポツリ々間隔を保ち 立ち上がる檜杉の樹林帯は太く かなりの年月を経て居ると見える
黒い巨岩が入り組む 苔むした滝と落ち込みが続き流れ下る そんな場所に目標を定める・・・・。
ザワザワ”と 白波を散らす落水音は 寝不足気味の朦朧とした脳裏を刺激 ”早く来てみろ 早く”と挑発してくる
二間半の竿を伸ばし 同行者の一人が飼育する
活きが抜群のミミズを 鍼に刺すと ”ピュッ!
黄色い体液を撒き散らした  お茶殻を混ぜた
ミミズは 色が鮮明で クネクネと活発に踊りだし
岩魚にとって 何とも挑発的なダンスに映るのだ
ろう  『ふっ!』 思わず笑いがこみ上げてくる
落水は 3bばかりの滝と成り滑り落ち其処から
駈け上がりまで一気に走ると 思い返した様に
枝分かれし 一方は右岸の岩盤向け沿う様に
巻き戻る そんな場所へと 真上から”ポトリ”と
落としてやると 身を捩りながら 壁を這うかの
様に ゆっくり巻き込み向け導いて行く・・・・・・
セル目印は ふわ々と上下しながら ある一点で
止まった?? ”来たのかぁ?” 一息置いた後
流芯向け引き込まれる 重々しい魚信 チラリと
逆方向の障害物を確認 『よっこらせっと』強めの
合せを呉れてやる
ボコッ!” 水面が盛り上がり次の瞬間 ”ブルルン ブルルン” 身を躍らせながら足元に落ちると ”ドタ ドタ
暴れ狂う 谷岩魚らしいそいつは焦げ茶の体色にオレンジの腹部で踊っていた!  こんな枝谷漁協の放流さえ
考えられない? おそらくきっとそぅだ ずっとこの流れの底に潜み 世の移ろいにさえ取り残され ひっそり生きて
来た主の末裔なのだろうか? この釣りをする人なら 見逃す筈も無いポイントにさえ 踏み跡のひとつさえ残らず
逆に其れがこの谷の限界を感じ取っていた  岩魚はポツリ々出はするが これ以上攻める気には成れなかった
車を置いた場所向け山肌を這い上がり 昨夜通った林道を上流向け歩き出すと 釣欲盛んな二人の姿が見え出す
やはり水量の乏しい渓相に失望 所在無さげにウロ々してる  『よし 移動するかぁ』 車は待ってましたとばかり
土埃を巻き上げ突っ走る・・・・ 舗装された幹線道路を左折一路北へと向う 暫らく行くと民家が現れだした打保の
集落だ? 路沿いのよろず屋を見つけると車を店前に横付け 食いはぐれた朝食を仕入れんと木戸を引いた・・・
おはよう!』 早朝の来客にも 店の奥から声が返る 『はい々 いらっしゃい』 山郷の商店主は やけに愛想の
良いお婆さんで 我々は あれやこれやと思い付く食料を積み上げていく・・・・・。・ 『処で兄ちゃん達 何しに来ん
しゃったん?』 『いんやぁ釣りなんすけどぉ 万波行けんのかのぅ?』 店主はやや考えた仕草に 思い掛けない
事を語り出した  『うんあそこには 新しい路がでけて 其処から行きんしゃるよぉ』 ・・・ん?・・・ 『とっとっ 処で
其の新しい路てぇのはぁ』 其の問いへの答えは指で示した 其処は我々の立つ店の前??? なんと云う事だ
袋から取り出したパンを咥えると 買い求めた食糧をガバッと抱え車へ飛乗り叫んだ 『行こうぜぇ
路の舗装は 間も無く途切れ 重機によって切り
開かれただけの 剥き出しの地道が続いて行く
凸凹の少ない 大きく回り込むように付けられた
幾つ目かのカーブを過ぎると 緩やかな峠らしき
地点を抜け 夢見た万波の佇まいへと導かれ
下って行く・・・・・・・・・。 
其処は ただ々開けた空間だった 谷間との表現
よりも やはり高原と云った趣で・・・ 源流帯の
流れは落差も少ない事で 多くはチャラ瀬を形成
北方を目指す 大物が潜める場所は 今のところ
見当たらない。
周囲を見回すと 左岸下流方面から伸びる稜線は
何程も切れ込まず 其のまま右岸の稜線へと
引き継がれ 今降りて来た峠路へと続く 我々が
向うべき方向は 自ずと限定され 渓を跨ぐ橋の
先から右折 下流向け林道を辿る判断には幾等も
掛からなかった
ガラガラの地道を車は駆け下ると 割と新しいコンクリート製人工物を流れの中に見止める  下流一帯は何やら
良さげに見え いよいよ我慢が出来なくなり出し 『よしここいらで遣ってみようかぁ』 『おおおおっ』 釣友の鼻息は
荒いが いざや水際へ立とうと 路肩から身を乗り出し覗き込むが 川幅一杯の流れは 増水時岸の草木を洗うのか
全て束ねられ下流向け押し倒される 後僅かの処で先へと進む事が出来ない! ”ええい面倒”とばかり 砂地を
選んで飛び降りてしまった 開けた川幅一杯流れ下る万波の雫は切るような冷水で 熱くなった私の思いを足元から
急速に冷やし宥めにかかる・・・・・・・ 障害物の少ない開けた空間 気持ちよく三間の硬調竿を振り回し 立ち込んで
全面を探る釣り方で   ピュッ! クックッ! ハッシ! グゥ〜ン! ブルルルルン!  の連続と成って来だす
中小型の岩魚が中心とはいえ 魚影は極濃密な様だ しかも他の釣り人に出会わない場所で 此処まで釣り人の
姿も見掛けなければ その車も無い? 更に切れ込んでいく下流部は いったいどんな姿で 我々を待ち構えるのか
其の先は ゲートが立ちはだかり八尾方面には抜け出せない さて如何したものか? 座り込み判断を付けかねて
居たら 遠く下流方面より土埃をたて近付く車? 人気の無い地にて出会いと成ると 何故かほっとする気持ちは
有るもので 互いに手を振り挨拶を交わすしかし何か変だ?? どうやら言葉が不自由な方の様で 身振り手振りの
会話にも 少しずつ理解出来た どうやら久婦須最奥の住人らしく ゲートの鍵も有るからついて来いと 誘っている
帰路には大回りと成ってしまうが 好意は受けなければ成るまい それよりも未だ観た事の無い渓相を この目で
確認したい願望が勝った  2台のジムニーに続き林道をひた走る それにしても先行の2台飛ばすは飛ばす!!
ガタガタの地道を まるで流れに飛び込まんばかりの勢いに 必死にハンドルを握る釣友の脇で 私といえば車窓を
どんどん後方へ押しやられる原生林の深い懐を  朦朧とした思考の中ただ眺め続けた こんな事を考えながら
・・・・・何時か叉 この地に立つ時が来るのだろうか?・・・・・

この万波流域もきっと無事では済まなかった事でしょう 復旧が進み落ち着いた時には 今一度訪れてみたい
穏かな渓の佇まい 其の地に生きる人々に会いに。

                                                             oozeki